昨年の十月二十三日、マニラの入管本部で、「出入国管理法」違反容疑で逮捕された賢一の再訊問がおこなわれた。
このとき、NHKが、出頭した賢一の取材をおこなっている。
ところが、殺人事件のからみがあって、放映はむずかしいという。
のちに詳しくふれるが、新聞報道によると、真珠宮ビル乗っ取りと一浚の誘拐に関与した三人組のリーダー、野崎の殺害事件には、別件で逮捕されている暴力団がからんでいる。
しかも、その別件逮捕の告訴人が、野崎とK、賢一の三人組という、複雑な構図なのである。
殺人事件がからんでいる――というのは、一浚をフィリピンにつれだし、拉致していたのが、三人組の一人、賢一だったからである。
われわれは、その賢一から、一浚を解放させた。
ところが、一部の日本人社会で、事実が、曲げてつたえられた。
われわれが、一浚を誘拐したというのである。どこかに、作為的に、ニセ情報を流している筋があるのであろうか。
さまざまな情報が交錯するなかで、とくに、われわれを悩ましたのが、一浚救出にたいする国家権力の誤解と妨害だった。逮捕・起訴権をもつ日本の警視庁と、国家の出先機関である大使館が、われわれが一浚を誘拐した、という見解に立ち、さまざまな工作を仕掛けてくるのである。
われわれが、一浚を救出した経緯は、すでにのべた。警視庁や大使館が、これを、誘拐という根拠は、いったい、何なのか。
「危ないですね。あなたたちの相手は、国家権力ではありませんか」
一浚との一時間におよぶインタビューをおこない、海外の邦人誘拐事件として報道すべく準備をすすめていたTBS取材記者のことばが、ズシリと、胸に響いた。
警視庁が、マスコミに作為的なリークをおこなうことは、よくある。われわれを、一浚の誘拐容疑で事情聴取をおこない、逮捕がありうるような情報を流せば、マスコミは、勝手に推測記事を垂れ流すだろう。
われわれは、弁護士、評論家、会社経営者で、社会的信頼という土台がなければなりたたない職業についている。誤解であろうと、いったん、マスコミで、犯罪人として報道されてしまうと、たとえ、あとで取り消してもらっても、社会的生命を失いかねない。
評論活動の一方で、今回のような、ジャーナリスト的なテーマにも積極的にとりくんできたわたしは、朝日新聞などの大メディアから誤報を流され、大きな社会的損失をこうむった経験をもっている。
さて、われわれの懸念は、入管法違反による二十日程度の拘留のあと、日本に強制送還された賢一が、一浚の身柄引き渡しをもとめてきた場合、これに対抗する有効な手段がないことだった。
一浚は否定しているが、日本の裁判所は、法制上、賢一が、一浚の養子であり、保護者とみとめている。松下弁護士が案じるとおり、親権争いになれば、一浚の実妹の夫である国安より、賢一のほうに分がある。
一浚を誘拐・拉致した賢一が、一浚をひきとった国安よりつよい親権をもっているということは、賢一がわれわれをフィリピン当局に訴えた場合、誘拐の訴状が受理される可能性もあるということである。
対抗手段は、一浚の意思表示である。一浚が、賢一の保護下におかれていること、賢一と養子関係にあることを法的に解消すれば、賢一と一浚の関係は、もとの、加害者と被害者の関係にもどる。
井上は、そのためにも、一浚の精神鑑をおこなって<被保護者>の根拠となった心神耗弱の認定を解いておくべきと考え、フィリピンの一流病院に鑑定の手続きをとった。
望ましい兆しもでてきた。一浚は、イミグレの供述調書で、養子縁組のことも、保護者確定のことも、知らなかったとのべたのにたいして、イミグレが、全面的に、一浚の言い分をみとめたのである。
井上が、賢一を「誘拐監禁」で告訴するよう主張した。そこを突破口にすれば、打つ手は、ありそうだった。
ちなみに、一浚は、わたしにたいして、こんなメモを書いている。
鴛渕一浚陳述書
私こと鴛渕一浚は、福田賢一(野崎グループの一人、もう一人はK)によってフィリピンに連れてこられ、その間、パスポートを取り上げられ、金銭の所持を禁じられ、しばしば暴力をふるわれ、監禁状態にありました。また、白内障のため、一人での歩行が困難な状態です。
2006年の一〇月九日、山本峯章、井上雅彦、国安嘉隆らの尽力によって救出され、パスポートの申請手続き、福田賢一に対する告訴をおこなっていただきました。
福田賢一は、私を精神病者に仕立て、平成十二年一〇月二六日、保護者選任の申し立てをおこない、東京家庭裁判所は、私の保護人として福田賢一を選任しました。
福田賢一は、私にこうした事実を知らさず、Kらと共謀、私の財産、預貯金を収奪し、株式会社真珠宮の株式を勝手に譲渡しました。
かれらは、加害者でありながら、被害者を装い、警視庁をつうじて、フィリピン日本大使館に、山本峯章、井上雅彦、国安嘉隆らが、私を誘拐、監禁していると申し立てています。
監禁し、暴力をふるったのは、福田賢一です。福田賢一は、自分で勝手に私の養子になって鴛渕姓を名乗り、二枚のパスポートを使い分け、日本とフィリピンの間を頻繁に行き来しております。
E日本大使館が、一浚にパスポートを発給
一浚の不法滞在は、賢一の誘拐監禁によって生じた。フィリピン警察も、逮捕権をもっているイミグレも、一浚の調書をもとに、誘拐監禁で賢一にたいする刑事告訴を受理するとみて、われわれは、フィリピン人の弁護士に手続きをまかせて、十月末、帰国した。
三度目のフィリピン入国は、11月4日だった。大使館から、一浚のパスポートを発給してもらうためである。パスポートがなければ、こんどは、一浚が、パスポート不携帯で逮捕されかねない。
十月二十五日。国安が日本大使館へ行き、一浚のパスポート発給をもとめている。ところが、大使館側は、本人に会って事情を聞きたいと、従来の態度を変えない。
大使館は、パスポートをとりにきたら、一浚の身柄を保護するという。一浚の身柄が警視庁に移送されると、賢一らの拉致は善意の保護で、逆に、われわれの救出が、誘拐にあたるというシナリオがデッチあげられかねない。
フィリピン人弁護士と松下弁護士の二人が、一浚のパスポートをうけとるべく、大使館と交渉を開始した。わたしと井上、一浚の三人は、取材を申し込んできたマニラ新聞の記者をともなって、大使館の隣のホテルに陣取った。
大使館は、取材記者の同行を拒んだ。二人の弁護士だけで大使館におもむくと、担当領事は、われわれのホテルで話をしたいという。ホテルの一階に借りたビジネスセンターの会議室にはいってきた領事に、わたしは、たずねた。
「あなたたちが誘拐犯人の黒幕といっている山本ですが、何をもって、誘拐と判断したのでしょうか」
「わたしは、そんなことをいっていません」
「それでは、一浚のパスポート発給に、問題はありませんね」
領事は、内ポケットからパスポートを取り出して、一浚に手渡した。その領事が、そのあと、われわれに「一浚さんと二人で話をしたい」と申しでた。
領事と一浚の話は20分ほどで終わり、領事は、大使館にもどった。領事が一浚にたずねたのは「二人きりだから、本当の気持ちをいってほしい。何かいいたいことはないか」だけだったという。このことから、わたしは、日本大使館へ、どこかから、圧力がかかっていたらしいと、推測した。
11月7日、フィリピン国家警察により賢一の誘拐監禁に関する告訴が受理され、賢一の長期拘留が決まった。これで、一応、イミグレ法違反による賢一の強制送還の可能性はなくなり、その後、賢一がカバトワン検事局でおこなった、われわれにたいする告訴は失敗に終ったという情報がはいり、わたしは、帰国した。
Fインターポール(国際刑事警察機構)も動き出す
十一月十日頃、わたしの赤坂のオフィスに井上から電話がかかってきた。
政府要人であるH氏からの情報で、日本側(インターポール東京)がフィリピンのインタポールをつうじて、情報収集をはじめたという。H氏の情報によると、要旨は、二点あるという。
1、鴛淵一浚が2006年10月9日に、ある者に誘拐され、その後、解放された事実があるかどうか。
2、2006年10月23日頃、鴛淵賢一がフィリピン入国管理局に逮捕された形跡があるかどうか。
インターポール東京からインターポールマニラに、この調査依頼書がついたのは、十一月初旬である。
この時期、警視庁捜査四課は、すでに、井上の仲介で一浚と直接電話で話し合い、一浚がじぶんの意志で賢一の監禁から逃れた事実をつかんでいる。本来、この時点で、警視庁は、賢一やKにたいして、一浚の誘拐・監禁容疑の捜査をすすめるべきではなかったのか。
一浚は、大使館との話し合い、じぶんが自由の身であることをのべて、正式にパスポートを受取った。このとき、われわれが一浚を誘拐したという虚構も、崩れ去った。
一浚の意思を確認しながら、警視庁が、フィリピンのインターポールに情報収集を依頼したのは、なぜか。
一浚は、真珠宮ビルの所有会社の御曹司であり、株主でもある。誘拐監禁が、殺人事件と因果関係があったとしても、われわれが一浚を救出したのは、それと、何の関係もない。
警視庁関係者は、青山通り事件発生後、賢一をマニラに呼び出し、二回ほど、事情聴取をおこなったという。捜査の専門家がマニラにまで出掛けながら、なぜ、行方不明になったまま、フィリピンで不法滞在者になっている一浚に事情聴取をおこなわなかったのであろう。
一浚が解放されることによって、警視庁に何か不都合があったのであろうか。
あるとすれば、一浚を監禁していた賢一が、青山殺人事件の容疑者となっている暴力団の告訴人だからではあるまいか。
松下弁護士によると、一浚が救出されたと知った警視庁は、暴力団(後藤組)のY弁護士(主任弁護士)に電話をかけ、「あの二人(一浚、賢一)に何かおきたら、あなたにすべての責任をとってもらう」といったという。
Y弁護士と、松下弁護士、国安、わたしとのあいだに、接点はない。
一浚の誘拐監禁という大事件を看過する一方、一浚の解放にY弁護士が関与しているかのようにきめつける日本の捜査当局のやり方に、わたしは、疑問をいだかざるをえない。
G賢一のガードに謎のフィクサー人登場
12月6日、フィリピン人の弁護士と一浚、井上の三人がカバトワンの地方検察局に出頭した。賢一にたいする起訴前の審判が予定されていたからである。
ところが、当事者である賢一の姿はなく、あらわれたのは、弁護士資格をもたない後藤という代理人だった。
われわれは、この男に、いちど会っている。
一浚を救出した際、日本でいう公証人役場の機能をもつ法律事務所を探した。一浚の証言に法的根拠をもたせるため、日本の裁判所でも通用する書類を作成しなければならなかったからである。そのとき、井上と20年近い交友関係をもち、日本の旅行者や在留邦人の入管手続などのコンサルティングをおこなっている観光会社に相談にのってもらった。
われわれは、そこの日本人経営者から、後藤を紹介されたのである。
後藤は、マニラで、いくつかの法律事務所に関係して、フィリピン国内の日本人の相談にのっているほか、大使館関係からも、仕事の依頼を受けているという。
われわれは、売り込みにきた後藤を日本料理屋に案内して、意見を聞いたことがある。
後藤はそのとき、「この国では、権力者と人間関係をもっていれば、大方のことは解決する」と自信たっぷりにのべている。
フィリピンでの活動が長いわたしも、フィリピンの特殊事情は、いやというほど、知っている。
そのとき、後藤の介入を断ったのは、われわれ自身、後藤をよく知らず、われわれにも、政府筋に、人脈があったからである。
賢一やKと、後藤の接点は、日本大使館と思われる。
というのも、後藤が、カバトワンの検事局で入手した一浚の供述書のコピーを日本大使館にファックスしている事実を――われわれが雇ったフィリピン弁護士が、確認しているからである。
後藤がいかにフィクサー的実力者でも、正当な理由なく、賢一を拘置所から釈放させることはできない。できるのは、不起訴の工作だけである。
われわれの弁護士によると、入管局も国家捜査局も、一浚にたいする誘拐と三年間にわたる監禁を立件する自信をもっているという。
だが、後藤にいわせると、フィリピンでは、コネとカネで、犯罪者を不起訴にすることができるのである。じじつ、ある筋によると、後藤は「面子にかけても不起訴にしてみせる」とうそぶいている。
12月19日も、賢一は、カバトワン地検に出頭しなかった。検事側は、賢一に反論を、一浚には、賢一の反論にたいする再反論の機会をあたえるため、2007年1月9日〜10日まで、起訴を猶予するという。
賢一が検事局に出頭してこないのは、裏で、不起訴工作がすすんでいることを知っているからであろうか。
フィクサー後藤が、賢一を不起訴にできるのか、できたとすれば、どんな策略をもちいるのか、われわれには、当分、事態の推移をみまもるしか、ないのである。
「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その4) へ続く
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