政府役人のH氏と地元警察に一浚と賢一の監視をたのみ、日本に帰ってから、約5か月が過ぎた10月初旬、井上から電話がかかってきた。H氏からの情報で、賢一が日本に帰るため、フライト予定7日付けのチケットを購入したという。
賢一がそばにいると、一浚は、本心を打ち明けない。一浚と鴛淵家が屈託なく話し合えるチャンスを待っていた松下弁護士は、一浚の妹の夫、国安をつれて、すぐ、フィリピンへ飛ぼうという。
松下によると、一浚と国安は、胸襟を開いて話し合ったことが、一度もない。野崎や片桐が、一浚の代理人として立ってきたからだ。その野崎グループから、妹や国安が財産を独り占めしようとしていると吹きこまれていた一浚は、親族を恨んでいる。
われわれ三人が、フィリピン航空431便で成田を飛び立ったのは、賢一が日本にむかった十月七日である。
その日、マニラの国際空港で待っていた政府要人のH氏と井上とともに、三人は、宿泊先のセンチュリー・パークホテルにむかった。
このホテルは、かつて、若王子事件やグリンゴ・ホナサンによる数回におよぶクーデター事件、あるいはマルコス・イメルダ夫人の帰国問題など、取材のたびにもちいた常宿で、当時、このホテルにあったテレビ朝日の支局のスタジオから、わたしは、日本に何度か映像を送った。
松下弁護士、国安、井上、H氏とともにホテルにはいり、一息ついてから、ミーティングを開いた。
賢一は、その日のフィリピン航空で、日本に発っている。井上も、賄い婦に電話をかけて、賢一の不在をたしかめている。
国安は、一浚のもとへ、すぐに出発したいという。だが、H氏が、反対した。一浚が住んでいるカバトワン地域は、住人が政府と共産党から二重徴税をされているフィリピン武装共産党の支配地域で、夜間、自動車でむかうのは危険だったからである。
翌朝の七時、ワゴン車で現地に向かった。地元警察を同行させてはどうかというH氏の申し出を遠慮したのは、一浚にプレッシャーをかけたくなかったからだった。
一浚の様子は、前回より、幾分、打ち解けているようにみえた。だが、国安が「兄さんの居場所がわかったので、妻と相談して、会いにきました。妻も心配しています」とつたえても、硬い表情のまま、小声で、ぼそぼそとつぶやいただけだった。
野崎と片桐、賢一は、鴛淵家の会社や財産を乗っ取るため、妹と国安が財産を独り占めしようとしていると吹き込んで、一浚をとりこんだ。策略にかかった一浚は、賢一に言われるまま、賢一と養子縁組みをおこない、さらに、賢一が家裁へもちこんで取得した保護者権のもとにおかれた。
かれらは、養子と保護者の立場を利用して、一浚をフィリピンの奥地まで連れ出したのである。
一浚と義弟、弁護士の話し合いがはじまった。
私と井上は、席を外した。庭に涼み台が置いてあった。その涼み台に横になると、一浚の世話をみている中年の賄い婦が枕をもってきてくれた。気立てがよさそうなひとだ。いつのまにか、眠ってしまったものらしく、耳元の声で目をさますと、国安と井上、松下弁護士がそばに立っていた。
「マニラにもどります」
と松下がいう。わたしは国安にたずねた。
「一浚さんは?」
「一緒です」
松下が補足した。
「一浚は、カネもパスポートも取り上げられていました。鴛淵家やビル会社などの情報をシャットアウトされたまま、いままで、自由も奪われていたといっています」
「監禁状態におかれていたのなら、なぜ、だれかに助けをもとめなかったのだろう」
「知らない土地で、頼れるひともなく、ほとんど、目が見えません。一人歩きができないうえに、カネをもっていないのですから、どうして、逃げだせたでしょう」
国安が、安堵した面持ちで、いった。
「一浚は、賄いをしていた女性をマニラへつれていきたいといっています」
カバトワンからマニラまで五時間、ひっそりとした車内で、一浚と賄いの女のヒソヒソ声だけが聞こえていた。やがて、その声も、消えた。二人とも、われわれ三人と同じように、日暮れとともに眠ってしまい、目覚めたのは、十時すこし前、マニラ市内にはいってからだった。
その夜、行きつけの日本食堂で、六人で一緒に夕食をとった。一浚に食欲がなく、口数が少なかったのは、興奮と緊張のせいばかりではなかった。そのときは、だれも気づいていなかったが、一浚は、賢一から、しばしば、暴力をふるわれていた。
一浚は、逃げだしたことによって、賢一から報復をうけるのではないかと、ひそかに、怯えていたのである。
翌朝、一浚の食欲は、うってかわって、旺盛だった。ホテルの食堂で、つぎからつぎへ、賄いの女性に料理を運ばせ、むさぼりついた。食べっぷりから、それまで、いかに貧しい食事をしていたか、うかがえた。
昼過ぎ、H氏の案内で、一浚とわれわれは、フィリピンの入管局に出頭した。
担当者は、タテマエをおしとおす。「どんな理由があるにしろ、3年間の不法滞在を大目にみることはできない。一浚は不法滞在者、賢一は不法滞援助者として逮捕、強制送還の対象となる」
H氏は、顔見知りらしい入管の職員に、温和にたずねた。「何かよいアイデアはないかね」
「不法滞在が、本人の意思ではなく、監禁状態から生じたのなら、賢一を告訴してはどうです」
「告訴は受理してくれるね」
「鴛淵一浚が、犯罪の被害者なら、それがいちばんよい救済策です」
一浚は、その日一日かけて、入管の職員に、フィリピンに連れてこられた経緯や状況をこまごまと陳述した。フィリピン入管当局は、一浚が、誘拐監禁によって、不法滞在者となった事実をみとめ、一浚が、賢一を不法監禁で告訴するという前提で、賢一にたいする捜査の手続にはいった。
入管法違反で逮捕されても、せいぜい、二十日前後、身柄を留置されたのち、日本へ強制送還されて、以後、フィリピンに入国することができなくなるだけである。だが、不法監禁で懲役刑を宣言されると、こんどは、当分、フィリピンからでられなくなる。
C警視庁から思いもかけない警告と恫喝
一応の決着をみたので、あとを国安にまかせ、十一日、松下弁護士とわたしは、帰国した。
その松下弁護士に、警視庁から、思いもよらない電話がかかった。
「あなた方は、何ということをしてくれたんだ。もし、一浚に何かあれば、責任を取ってもらう」
松下は反論した。
「監禁状態にあった一浚の求めに応えて、救出をしただけです」
「いま、一浚は、どこにいる」
「井上さんや義弟が、アパートを探したり、病院に連れて行ったりしています。マニラで自立できる環境を整えているのです」
「井上とはだれだ」
「今回、お世話になったフィリピン在住の日本人です」
「その男の電話番号を教えろ」
「本人に断りなく、電話番号を教えるわけには行きません。必要なら、井上さんの方から電話をかけるようにたのんでみましょう」
松下は、監禁されていた日本人を助けて、なぜ、警視庁に叱られるのか、狐にでもつままれたような気持ちで、井上に電話をかけ、警視庁捜査4課の係官と連絡をとるようにたのんだ。
井上が、松下から教わった番号に電話すると、Aという捜査官が出た。
「井上ですが、どんなご用件ですか」
「あなたは、じぶんのやっていることがわかっているのか」
「監禁された日本人が助けてくれというので、救出の手伝いをしただけです。それが何か悪いことですか?」
「正しいことをしているつもりでも、それが、とんでもない大間違いということもある。この事件の裏に、大きな問題があるのを知っているのか」
「フィリピンに長く在住しているので、日本のことはよくわかりませんが、まちがったことはしていません。フィリピンの法では、被害者は、監禁状態におかれていたのですから」
「フィリピンの法律など関係ない。すぐ手を引くことだ」
「親族のひとから、協力をもとめられたのです」
「親族とはだれだ」
「義弟の国安さんです」
「国安、そんなものは親族ではない」
「困りましたね」
「松下弁護士と山本に相談することだ」
井上は、捜査官の高飛車な物言いに、あっけにとられたという。二、三のやりとりのあと、捜査官が、たずねた。
「一浚はどこにいる」
「すぐそばにいますよ」
「一浚に代われ」
電話を代わった一浚が、英語で話しはじめた。警視庁の係官が代わって、一浚に英語で話しかけているのである。一浚は、アメリカで大学を終え、長いあいだ、米国系の企業に勤めていた。その情報を入手していた警視庁は、電話の主が一浚かどうか、英語でたしかめたのである。
一浚は、長期間、賢一に監禁されていた事実を告げ、今回、じぶんの意志で、救助をもとめたことを、英語でのべた。井上が、一浚に代わって受話器をとると、警視庁の係官は、無言で電話を切った。
警視庁が、一浚の救助にクレームをつける一方、フィリピン警察は、一浚の誘拐・監禁事件に、迅速に動いた。一浚と賢一が住んでいたネバイシア・カバトワン市は、国家警察ルソン本部の管轄である。
十月十八日、国家警察と入管本部は、出入国管理法違反で逮捕状をとって、賢一を逮捕した。
出入国管理局の「外人専用留置場」に留置された賢一の釈放に、意外なことに、日本大使館が、うごいた。その結果、入管が、「日本大使館が責任をもつ」という約束で、賢一を四日間にかぎって釈放した。賢一がむかったのは、カバトワンだった。
賢一は、われわれ四人を「誘拐罪」でカバトワン地検に告訴したのである。
この告訴がみとめられると、救出ではなく、一浚を誘拐したことになって、逆に、われわれが、カバトワン地検から逮捕状を執行されることになる。
このアイデアは、賢一のものではない。シナリオを書いたのは、大使館か、警視庁ではあるまいか。
それにしても、一浚本人から救出をたのまれたわれわれが誘拐犯なら、誘拐された被害者は、いったい、どこにいるのか。賢一と大使館、警視庁がグルになっても、われわれを誘拐犯にするのは無理な話だが、フィリピンでは、常識をこえたことが、しばしば、おきる。
入管の捜査員は「賢一が一浚の養子になっている以上、身内として、は義弟の国安さんより法的な根拠がつよいのではないか」という。
しかも、賢一は、一浚の保護者になっている。一浚は「賢一がわたしの保護者とだれがきめたのか、わたしは、了解していない」と主張したが、日本では、手続き上、賢一が一浚の保護者になっている。
入管の捜査員によると、カバトワン地検が、親権を根拠に、賢一がわれわれを誘拐犯とうったえた告訴状を受理する可能性があるという。
大使館が責任をもって、賢一の身柄を入管に引き渡すのが、4日後だった。
そのかん、カバトワン地検から呼び出しがかかったら、万事休すである。
マニラで待機していたわれわれに、その四日は、じつに長い四日間であった。
「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その3)へ続く
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