わたしがこの怪事件にかかわることになったのは、四月の初旬、弁護士事務所からかかってきた一本の電話からだった。
「フィリピンで行方不明になった人物を探して欲しい」
というのである。わたしは、フィリピンに知り合いが、すくなくない。かつて、マルコス政権と日本財界の癒着問題や「若王子誘拐事件」を追い、グリンゴ・ホナサン元上院議員、および旧マルコス政権人脈との付き合いも、長年にわたっている。
行方不明になったの人物は、新宿の商業地にビルを所有する鴛淵家の相続人で、数年前、何者かに、成田空港からフィリピンへつれだされたという。
電話をかけてきた弁護士は、親族からの依頼をうけたものの、フィリピンで行方不明者を探す手立てがなく、人伝でようやく、フィリピン・ウォッチャーのわたしにつきあったらしい。
つまり、わたしはまったくの偶然から、この事件にかかわることになったのである。
鴛淵家(行方不明者の実妹)の代理人である弁護士の依頼を受け、わたしは、フィリピンにおける秘書役で、友人でもある井上政彦(グリンゴ・ホナサン前上院議員の秘書)に電話で調査を依頼した。
井上は、手始めに、イミグレーション(出入国管理局)で、出入国カードをあたった。
行方不明者の氏名は鴛淵一浚。入国は確認できたが、出国の記録はなかった。ということは、フィリピン国内にいるのだ。しかも、不法滞在である。親族に連絡を絶っているところから、死亡していることも考えられるが、死体を探すことは不可能だ。
生存していながら行方が知れないのであれば、監禁されているか、刑務所にはいっている可能性もある。イミグレーションをつうじて、フィリピン国内の日本人受刑者のリストを入手したが、そのなかに、鴛淵一浚の名はなかった。
「日本人受刑者リスト」など、尋常な方法で、手にはいるものではない。入手できたのは、わたしや井上が、フィリピン政官界にコネをもっていたからである。
残った手がかりは、一浚が、入国時に出入国事務所に申請した「入国後の現住所」だけである。だが、一浚がその現住所にいたのは、一時期で、建物の持ち主によると「同居人と一緒に、隣り町かどこか、ここから、それほど遠くないへんぴな場所へ移った」という。
現住所は、日本人が足をふみいれることのない地方の寒村で、NPA(共産ゲリラ)の勢力範囲でもある。そこから、さらにへんぴな場所へ移ったとなると、目的はいったい何なのか。
新宿の一等地にビルを構える資産家の御曹司が、何者かとともに、NPAが支配するフィリピンの奥地へ、ある日、忽然と姿を消した理由が、さっぱりわからない。
井上が、コネや人脈をつかって、周辺の町や村で聞き取り調査にあたり、いくつか、有力な情報を入手した。「ヘンな日本人を見た」「パンツ一枚で歩き回っていた」「頭がおかしい」「ドラッグをやっているようだ」という情報が、ある小さな町に集中している。顔写真を見て「似ている」という住民もみつかった。
このとき、フィリピン政府(大統領府・広報担当)の有力者H氏が、昔からのよしみから、協力を買ってでてくれた。その町にむかったわたしと井上、弁護士の三人に、地元の警察が同行(パトカー二台、武装警官三名)したのは、H氏の配慮からで、武装NPAのほか、ギャングや誘拐団の脅威があったからだった。
「ヘンな日本人がいる」と教えてくれた住人の案内で、古びた建物の二階に上がってゆくと、廊下に、半裸の老人が横たわっていた。案内した住人が、その老人に指をむけている。
「このひとが、鴛淵一浚?」
わたしは、顔をのぞきこみ、「一浚さんですか?」とたずねた。一浚の反応は、予想外なものだった。顔を引きつらせ、「だれだ、あなたは」と怯え、壁づたいに後退るのである。
わたしが写真で知った鴛淵一浚は、どこかのクラブで美人ホステスと戯れているにやけた男で、目の前で、床に寝転んでいる老人とは、イメージがつながらない。
だが、顔の輪郭や頭のかたち、体型に、写真のおもかげが、わずかにみてとれる。
弁護士が、「妹さんの依頼で助けにきました」と告げた。だが、恐怖と憎悪がいりまじった表情にかわりはなかった。
一浚が、われわれを、危険な集団と思いこんだのは、一浚をフィリピンにつれだし、監視下においていた福田賢一の入れ知恵のせいである。
A御曹司誘拐グループの意外な正体
弁護士の話によると、賢一は、鴛淵家の遺産紛争やビル乗っ取りに関与している三人組の一人で、一浚の誘拐犯だという。ところが、日本の警察は、鴛淵家の刑事告訴をはねつけている。遺産相続の内輪もめと見たのであろう。
わたしは、知らなかったのだが、その二ヶ月前、三人組のリーダー野崎和興が、青山通りで刺殺されている。下肢を刺して動けなくした後、とどめをさすやり方から、プロの手口と報じられた。
一浚が、殺し屋の影におびえたのは、まんざら、思い過ごしというわけではなかったのである。
「日本にいると命を狙われる」と一浚をフィリピンへつれだした賢一は、鴛淵姓を名乗っている。養子縁組をおこない、一浚の養子になって、表面上、一浚の保護人を任じているが、実際は、鴛淵家の財産目当てであろう。
一浚が立ち上がった。井上と弁護士が、両脇に立った。一浚は、盲人の手さぐりの格好で、ゆっくり、一階の部屋へむかった。われわれは、一浚が失明状態になっていたことに、そのときはじめて、気づいた。足元もおぼつかない。痩せ方、皮膚の色から、素人目で、栄養失調とわかった。
わたしと井上は、部屋へはいるのを遠慮した。一浚と親族の代理人とのあいだに、他人が立ち入ることができない、闇のようなものがありそうだったからである。そうでなければ、一浚が家族の前から、無断で姿を消すわけも、迎えにきた鴛淵家の弁護士に、恐怖や憎悪の表情をうかべるわけものない。
わたしは一浚をみつけてほしい、と頼まれたが、鴛淵家の問題について、相談をうけたわけではない。席を外したのは、そのあと、一浚を日本につれて帰ろうと、そのまま放っておこうと、弁護士と鴛淵家の問題で、わたしが関与すべきことではなかったからだった。
わたしと井上氏が、部屋にはいったのは、それから30分後、賢一が外出先からもどってきてからである。
それまで、一浚と弁護士がどんな話をしていたか、井上もわたしも知らない。あとから聞いた話では、弁護士が「みなが心配している、日本へ帰ろう」と語りかけたというが、一浚は、ぎこちない表情で「(賢一に相談せずに)勝手にきめられない」と答えたという。
賢一の後を追うように、わたしが部屋へはいると、一浚は身を固くして、表情をこわばらせたままだった。賢一が、一浚の保護者なら、考えられない反応である。
賢一に、わたしは、たずねた。
「一浚をフィリピンにつれだしたのは、なぜです」
「暴力団に命を狙われていたからだ」
一浚もうなずいた。その一浚に、訊いた。
「パスポートはどうしました?」
「賢一に渡した」
賢一は、あわてて、手を左右にふった。
「紛失、紛失、失くしたんだ」
弁護士が、賢一をちらりと見てから、一浚にいった。
「それでは、マニラへ行って、再発行してもらわなくては」
賢一の表情に渋いものがうかんだ。わたしは、三人のやりとりを見て、一浚が本気で暴力団に殺されると思いこんでいること、その仕掛けをつくったのが、賢一が下っ端をつとめる件の三人組であろうと、確信した。
わたしには、それまで、賢一が一浚をフィリピンにつれだしたのか、それとも、国外へ逃亡した一浚に同伴しているだけなのか、判断しかねていたのである。
「一浚は長期にわたって不法滞在になっている。このままでは、フィリピンの出入国管理局(検事局)に逮捕される」と、弁護士が詰問しても、賢一は、「わたしの一存ではきめられない。片桐さんに相談しなければ――」と煮えきらない。
片桐というのは、青山通りで刺殺された野崎の相棒で、賢一には、兄貴分にあたる人物である。
「それでは、すぐに、片桐さんに連絡をとってください」と弁護士がたたみかけると、賢一は、「今夜、片桐と連絡をとる」と、渋々、答えた。
われわれは、その夜、地元の小さなホテルに投宿して、翌日、ふたたび、賢一と一浚が住むアパートを訪ねた。
賢一によると、片桐と、前夜、連絡をとったが、弁護士との電話連絡を拒否したという。その賢一も、われわれの質問に、口を閉ざした。片桐から「余計なことをいうな」と釘を刺されたのであろう。
一度、ひきあげるほか、なさそうだった。名義上の世話人である賢一が一浚のそばにいるかぎり、一浚をとりもどすことができそうになかったからである。
気がかりは、一浚である。賢一や片桐が、一浚を別の場所に移してしまったら、二度と、みつけだすことができないかもしれない。
この難問を解決してくれたのが、H氏である。地元警察に二四時間態勢で監視させ、かれらが、別の場所に移った場合、新しい居所まで追跡する手筈を整えてくれたのである。
それから、約半年後、賢一が日本へ来るという情報をえて、われわれは、ふたたび、フィリピンへ飛ぶことになるが、事件は、思いがけない方向へ転がってゆく――。
(「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その2)へ続く)
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