2007年02月20日

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その5)

Iフィリピン司法に受理された一浚の告訴状 
 依頼人が、わたしがコメンテーターをつとめていた二本のテレビ番組を見ていなかったら、フィリピンで行方不明になった人物を探してほしい、などという、とっぴな話がとびこんでくることはなかったろう。
 二本のテレビ番組というのは――フィリピンを舞台にした二つの報道番組――クーデターに失敗して地下に潜伏したグリンゴ・ホナサン元大佐へのインタビューと、わたしが現地入りして、犯人側と折衝にあたった「若王子事件」である。
 依頼人は、わたしを"フィリピン通"と見込んだのであろうが、三年前にフィリピンへつれだされて以来、行方が知れず、生死さえ不明な資産家の御曹司の捜索など二つ返事でうけおえる話では、なかった。
 敢えてひきうけたのは、当時、クーデター未遂事件で、指名手配をうけていたグリンゴ・ホナサン元上院議員の側近や家族から相談をうけて、日比間をたびたび往復していたからだった。
 イミグレーションへの調査依頼なら、多少、顔もきき、力になれるかもしれないと思ったのである。
 もっとも、フィリピンへ同行した弁護士の相談に応じたのは、わたしではなく、グリンゴの秘書で、フィリピンにおけるわたしの秘書役をつとめてくれている井上雅彦だった。
 フィリピン在住が三十年以上におよび、タガログ・英語とも堪能で、しかも、行動力があり、辣腕でもある。マニラから遠く離れた寒村に幽閉されていた一浚を救出することができたのは、井上の機転によるところが大きい。
 一浚が発見された経緯については、本ブログで、すでにのべた。わたしの役割は、そこで、終わるはずだった。
 そうならなかったのは、一浚の事件が、「真珠宮ビル乗っ取り事件」と「青山通り刺殺事件」という二つの背景をもっていたからである。
 両方の事件とも、わたしは、詳しい事情を知らず、あとで教わっても、関心は、あまりわかなかった。
 当時、わたしは、友人であるグリンゴ・ホナサン元上院議員の逮捕、および、獄中からの上院選出馬という切実な問題にかかずらっており、一浚の事件にかんしては、当事者である一浚の義弟と弁護士にお返ししたつもりだったのである。
 わたしが、ふたたび、事件にひきもどされたのは、一浚を誘拐・拉致した福田賢一が、われわれを誘拐罪で告訴したからだった。この告訴は、当然ながら、却下されたが、その起訴の背後に、日本大使館と、捜査当局の影が見え隠れしていた。
 一浚事件の背後にあった二つの事件が、日本の捜査当局の干渉から、はからずも、浮上してきたのである。
 わたしは、一浚が、誘拐と拉致で賢一をフィリピン当局に告訴する経緯をみまもることになった。
 われわれが、賢一のもとから一浚を救出したしたことを、日本の当局が誘拐とみなすのであれば、司法の場を借りて、賢一が一浚を誘拐・拉致した事実関係を、はっきりさせておかなければ、けじめもつかず、われわれの潔白も証明できない。
 一浚が賢一を訴えた起訴状が正式に受理されたのは、2月19日である。
 書類をみるかぎり、フィリピンの司法は、日本とはちがい、起訴の受理が、有罪判決の一部を構成しており、その後の審理で、有罪確定や量刑がきまるようである。
 その判決文が、事件のあらましや、これまでの経緯をのべているので、注釈をくわえて要約を紹介する。

フィリピン共和国/法務省/地方検察庁/カバナツアン市
原告/鷲渕一浚
被告/福田賢一(鷲渕賢一)
罪状/誘拐罪及び重大な不法監禁罪

判決文(resolution)
 鷲渕一浚は、日本国内において10億円余りの財産を有する企業の共同所有者である。一浚の会社の役員と称する野崎(青山通り刺殺事件の被害者)は、片桐勇一と共謀して一浚の会社の財産を奪う計画を立て、本件事件の被告人である鷲渕賢一を、一浚の養子に仕立てた。

(注)一浚が筆頭株主になっている真珠宮(ビル)は、当時、母親の千枝が代表取締役をつとめていた。野崎は、当初、千枝に接近したが、疎んじられて一浚にのりかえ、ことば巧みにとりこんで、千枝や実妹のまりえと離反させた。
 一浚は、会社の印鑑や預金通帳を野崎に預け、このとき、預金から八億円が引き出されている。野崎らは、一浚を放蕩生活に誘いこみ、その結果、一浚は、交通事故をおこして刑務所に収監された。
 出所の際、野崎は、福田賢一を保護人に申請して、賢一を身元引受人した。
 出所後、野崎は「ヤクザに狙われている」と一浚を二年間、精神病院(長谷川病院)に隔離して、強力な薬物を投与させた。心身ともに衰弱した一浚が長谷川病院から退院した2003年9月、野崎と片桐、賢一は、一浚に「日本にいると殺される」と脅して、フィリピンへ連れ去った。
 カバナツアン市ビリャ・オフェリア、バレンスエラ通のアパートで監禁状態にあった鷲渕一浚は、NBI(国家犯罪捜査局)の手で救出されたのち、フィリピン当局にたいして、賢一からうけた被害の状態をのべた。
 賢一は、2003年から2006年にかけて、一浚にたいして精神的・肉体的拷問をくわえ、不法に、自由を侵害した。くわえて、そのかん、薬物を投与して、盲目になるまで一浚の健康を悪化させた。
 この時期、賢一からパスポートを取り上げられるなど、一浚の行動の自由は、極端に制限されており、実質的な監禁状態にあった。一浚の付添い人として、野崎グループに雇われていたテレシタ・アベサミスも、この不法監禁について証言している。
 賢一の反論に、「一浚を長谷川病院に入院させ、フィリピンにつれてきたのは、精神に異常があるためで、保護していたのは、面倒を必要としていた一浚にたいする思いやりだった」とあるが、一浚は、「精神障害者でもなければ、アルコール中毒者でもない」とする国立精神保健センターの診断からしても、賢一の反論に正当性はない。
【賢一を一浚の後見人とした経緯】
 保護者申請は、賢一とその共謀者である野崎と片桐によって仕組まれたもので、一浚の身柄と財産をコントロールするための手段であった。その結果、被害者(一浚)は、パスポートを取り上げられ、銀行通帳にしめされているとおり、預金がゼロになるまで現金を奪い取られた。

(注)この判決では、一浚が、アルコール中毒や精神障害者ではなかったことに目がむけられている。犯罪の仕組み自体は、それほど複雑ではないが、一浚に心神耗弱がみとめられると、誘拐が保護にすりかわり、正当な訴えが虚言とみなされるような逆転が生じかねない。
 フィリピンの司法も、そのあたりの事情をふまえ、松下弁護士が東京家庭裁判所へ提出した「保護者解任請求書」を重視、判決文のなかに<後見人としての権限を抹消した東京家庭裁判所の命令文>を引用している。
「後見人抹消に関する請願理由」の一部を要約して、一部を紹介する。
 @2000年10月26日の公判によると、鷲渕賢一は、鷲渕一浚の後見人に指定されているが、一浚に、その件は報告されておらず、一浚が、後見人の指定を知ったのは、2006年の10月以降である。
 A後見人としての指定を受ける以前、野崎と片桐、賢一は、一浚と千枝の預金、数億円と株式会社真珠宮の預金およそ10億円(発行株式数8000株のうち、千枝が5000株、一浚が3000株保有)を不正に引き出している。
 B賢一らは、飲酒運転による交通事故で滋賀刑務所に勾留されていた一浚にたいして、養子縁組をすれば刑務所から出られると一浚をそそのかし、無断で、賢一との養子縁組をすすめた。その後、賢一は、一浚を酒浸しにさせて、アルコール依存症の診断書をとり、家庭裁判所へ後見人としての任命を要請した。
 C一浚の妹鷲渕まりえは、フィリピン警察に協力をもとめ、弁護士や他の協力者の助力をえて、2006年10月9日に一浚を救出した。現在、一浚は、不法居住者になっているため、フィリピンで在留資格をえる手続をとっている。
 D一浚は、フィリピン入国管理局において「財産の略奪を目的とした不法監禁」、および犯罪行為によって生じた損害賠償の申立をしている。フィリピン入国管理局と国家警察の共同捜査により、賢一は、2006年10月20日に逮捕され、マニラ郊外にある留置場に身柄を拘束されている。ちなみに、一浚は、NHKやTBS、その他のメディアによるインタビューを終え、現在は、日本大使館、フィリピン入国管理局、その他の機関からの事情聴取を受けている。
 E故鴛淵千枝と鴛淵一浚の所有財産である新宿駅の南側付近にある25億円相当のビル(真珠宮ビル)は、野崎和興、片桐健一、福田賢一のグループに乗っ取られたが、いまもなお、犯罪組織とのあいだで、奪い合いになっている。

(注)鴛淵千枝は、生前、野崎や片桐、賢一が、役員にはいりこんで財産を収奪しているとみて「株主総会不存在確認請求事件」をおこしている。野崎らは、最高裁まで上告したが、敗訴した。
 F認知症がすすんだ千枝は、上記の三人組につれさられたのち、死亡した。彼女の遺骨はいまだにかれらのもとにある。
(注)一浚が滋賀刑務所から出所すると、野崎は、練馬の老人ホームで生活していた千枝を神奈川県綾瀬の老人ホームへ強引に転居させ、敗訴になっていた十数件の裁判をすべて取り下げさせ、ふたたび、役員として復帰する。このとき、千枝の証券をすべて換金したばかりか、ビル賃料一億円、裁判の保証金なども奪い、千枝を無一文にして、死亡させている。ちなみに千枝は、認知症のほか、拒食症で衰弱しており、治療をうけていた練馬の老人ホームから転居させると、死亡する可能性が高かった。それを承知で、野崎らが、千枝をつれだしたのだとしたら「未必の故意」による殺人ということができよう。
【結論】
本件事件にかんする資料にもとづき、当事者本人による後見人の指定が効力を失っていることをみとめ、当裁判所は、その権限をもって、以下のとおり判決を言い渡す。
【主旨】
鷲渕賢一、通称福田賢一は、鷲渕一浚にたいして、重大な不法監禁の事実があったと証明された。よって、被告人にたいする添付の告発状を当裁判所に提出するのが妥当と思われる。

 日本の起訴にあたる判決(決議文)がでたことで、この件は、落着した。
 一浚が、永住権をえることができれば、これまで面倒をみてくれたフィリピンの女性とマニラで暮らすことになるだろう。
 わたしが頼まれた仕事は、終わったが、それですべて、決着がついたわけではない。
「真珠宮ビル乗っ取り事件」の民事訴訟は今後もつづき、賢一が本審で有罪ということになれば、それをうけて、片桐にたいする訴訟もすすめられるだろう。三人組の主犯だった野崎が死亡した「青山通り刺殺事件」も、解決したわけではない。
 民事訴訟にかんして、一つ、はっきりしたことは、一浚がフィリピンで発見されたことによって、「不存在証明」が完成したことである。
 鴛淵家は、野崎グループを相手取って、株主総会の無効を訴える裁判をおこしている。事実上の乗っ取りになった株主総会の出席者のなかに、一浚の名がある。裁判で、株主総会の決定が取り消されると、片桐に、損害賠償のほか、業務上横領や詐欺の容疑もでてこよう。
 この事件のレポートは、一応、ここで終わる。むろん、新しい事態が生じたら、続報を書く用意があるのはいうまでもない。

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(了)
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2007年02月09日

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その4)

 H賢一の「反論」と一浚の「反・反論」

 われわれは、賢一の反論供述書が、カバナトワン地方検察局に提出される予定になっていた一月九日をまった。反論は、フィリピン警察から「誘拐・拉致」の疑いで起訴された賢一にあたえられる異議申し立てで、それによって、起訴か不起訴かが決定する。
 ところが、一月九日に反論宣誓供述書は提出されず、二十三日まで延長された。
 後藤という賢一の代理人が不起訴工作をしていることは、すでにのべた。
 賢一の「反論供述」待っているわれわれのもとに、後藤がおこなっている、検事や入管にたいする画策情報がはいってきた。
 入管局や国家捜査局に、さまざまなコネクションを使って不起訴工作をしているものの、思うような反応が得られないらしい。後藤は友人に「何かおかしい。いつもと違う」とぼやいていたという。
"袖の下"がまかりとおるフィリピンでは、コネやカネで、法的措置に手心がくわえられることが、すこしもめずらしくない。入管手続きも例外ではなく、なかでも、曲者が、強制送還である。
 フィリピンの入管法では、局長と三人の副局長が署名した略式送還命令書だけで、どんな犯罪をおかした外国人容疑者でも、強制送還することができる。強制送還が、事実上の無罪放免になっているのである。
 後藤らは、検事局や入管にはたらきかけて起訴を見送らせ、強制送還で、賢一を日本へ送り返そうというのであろう。
 昨年の十一月、フィリピン政権与党のバーバス下院議員が、二回にわたって「出入国管理局の上層部がワイロをうけとって、外国人の犯罪者を海外に逃がしている」と、フェルナンデス入管局長と三人の副局長の計四人を名指しして、略式送還命令書をめぐるワイロの実態を告発した。海外へ逃がす、というのは、強制送還のことである。
 入管の幹部は「事実無根だが、調査して、議会に報告する」と答えている。だが、フィリピン人で、この答弁をまにうけた者は、一人もいないだろう。

 さて、カバナタウン地方検察局に提出された賢一の「反論供述書」である。
 二十三日、同検察局に届けられた「誘拐・拉致」容疑にたいする賢一側の反論供述書は五ページで、最後に「上記の反論供述は、宣誓供述書のごく一部であり、引き続き、反論宣誓供述書を提出する権利を保留する」とある。
 これにたいして、一月三十一日、一浚の弁護人(フィリピン人)は、10項目にわたる宣誓供述書を同地方検事局に提出した。
 賢一の反論と、一浚側からの反・反論を併記してみた。

賢一の反論
「一浚はアルコール中毒患者で、酔払い運転で人身事故をおこし、刑務所に収監された」
一浚の反・反論
「交通刑務所、長谷川病院、フィリピンで自由を失っていた計六年半に、一滴のアルコールも口にしていない者が、どうしてアルコール中毒なのか。アルコール中毒症という医師の診断書はどこにも存在しない。賢一が、本人に秘匿して、裁判所に提出した保護者選任申立書にも『アルコール依存症』としか書かれていない」
賢一の反論
「一浚は精神病を患っており、長谷川病院(精神病院)に二年間入院した」
一浚の反・反論
「長谷川病院への入院は『身の安全をまもるため』という、フィリピンへつれてきたのと同じ理由からで、薬物投与以外、精神病の治療をうけたことはない」
賢一の反論
「フィリピンへ来たのは、一浚の自発的な意思である」
一浚の反・反論
「じぶんの意思でフィリピンへ来たというなら、わたしは正気で、賢一もわたしの意思を尊重したことになる。精神病だったという供述と矛盾する」
賢一の反論
「当該訴訟は、一浚の本心ではなく、あるグループの誘導である」
「あるグループとは、一浚の義弟、弁護士、および、かれらの援助者である」
「かれらの目的は、一浚が所有するビル会社の株式を譲りうけることである」
一浚の反・反論
「あるグループというのは、唯一の肉親であり、わたしの安全や健康を願っている実妹の依頼をうけ、わたしの保護にあたっている肉親(義弟)、弁護士とその協力者である」
「わたしが所有するビル会社の株式を奪おうとしているのは、鴛淵家の財産を奪い、わたしを拉致して人権を蹂躙した賢一らで、わたしの肉親やわたしを援助している人々ではない」
賢一の反論
「一浚が服用していた薬物は、賄い婦があたえたもので、賢一は関与していない」
一浚の反・反論
「長谷川病院を退院して、フィリピンにつれだされたあとも、ひきつづき、長谷川病院であたえられたものと同じと思われる薬物をのむように強要された」
「わたしが服用させられていた薬物の処方箋は、賢一が所持し、薬物を処方したのは、賢一の指示をうけた医師である。賄い婦は、わたしに薬物をのませるように、命じられたにすぎない」(賢一逮捕の際、所持品のなかから処方箋を回収したフィリピン警察の担当者は「こんなものを長期間のんでいると、頭がおかしくなる」と証言している)

 養子縁組についても、賢一と一浚の見解は、対立している。
 交通刑務所を出所するとき、賢一やKから、「身元引受人がいなければ出所できないので、賢一を一浚の養子として縁組みしたい」という申し出があったが、一浚は、了解していない。その後、一浚の収監中に手続きがすすめられたが、一浚は、まったく気がついていなかった。
 ちなみに、この養子縁組の前に、七十六歳になる鴛淵千枝とKの婚姻入籍が計画されていたという。Kが既婚者だったためこの計画が流れ、代案として、かれらは、賢一と一浚の養子縁組を考えついたものであろう。

 一浚が検察局に提出した反論書は、30ページにわたって、賢一の供述書の虚構をことごとく論破している。
 フィリピンの刑法では、最終反論供述書が提出されてから、担当検事15日、上席検事15日、計30日間の猶予期間を経たのち、起訴か不起訴がきまる。賢一の最終反論供述書と一浚の宣誓供述書が出揃った以上、後は、担当検事や上席検事が、どう評定するかである。
 反論供述書による攻防は、法律に添った表面的なたたかいである。
 一方、われわれにつうじている情報屋から、後藤らがイミグレーションや捜査局にはたらきかけている裏側の情報も入ってくる。
 一浚が宣誓供述書を提出(一月三十一日)した日の夕方、井上に「後藤らがイミグレーションや国家捜査局のルートの工作を諦め、政治関係者に手を打ったらしい」という情報がはいってきた。わたしは井上にたずねた。
「政治関係者とは、国会議員か?」
「国会議員ではなく、地方の有力者のようです」
「地方の有力者?」
「地元の市長とか。地方検事の就任には、地元の市長の同意書のようなものが必要になります。その関係で、どこでも、市長と検事は、昵懇の仲です」
「ところで井上君、カバトワンの市長は、われわれが初めて一浚と会ったとき、地元警察を紹介してくれた人ではないのか」
「そうです、マラカニアン(政府)から手をまわして、地元の警察に便宜を計ってくれたひとです」
「それなら、この事件について、よく理解しているはずだ」
「念には念を入れよ、です。政府のHと連絡をとってみましょう」
 井上とわたしは、突如としてあらわれた市長対策を練らねばならなかった。
「ところで井上君、我々の弁護士(フィリピン人)は何といっているの」
「賢一側は猛烈な勢いで不起訴工作をしているが、一浚側は、すでに反論供述書で、賢一側の嘘で塗られた供述書は論破できている、心配するな、といっています」
「われわれは、油断なく、あらゆる状況を想定して、打つべき手を打ってきたが、油断は禁物だ」
 ちょうどそのとき、耳よりの情報が入ってきた。
賢一がイミグレーションに逮捕された折、日本大使館の領事がとんできて、フィリピン入管局とかけあい、賢一を四日間だけ釈放させた上、われわれを誘拐犯として、カバナタウン検事局に告訴させようとした事実は、すでにのべたとおりである。(この工作は検事局が却下した)
 このとき、賢一は、賄い婦の長女にたいして、猫なで声や泣き落としで告訴工作の協力をもとめ、応じないとみるや、暴力的な言動におよび、挙げ句に「こんなことになるのだったら、計画どおり、殺しておけばよかった」と口走ったという。
 母親から情報をえたわれわれは、翌日、カバナトワンへでかけ、長女から、賢一の言動のすべてを聞きだし、松下弁護士は、長女へのインタビューをすべてビデオに納めた。
 このビデオテープは、今後、フィリピンにおける「一浚の誘拐・監禁事件」ばかりではなく、殺人事件までおこしている東京の「真珠宮ビル乗っ取り事件」の民事裁判で有力な証拠となるのではないだろうか。
 われわれが、必要な情報入手すべく、とびまわっていた二月一日の夜、長い交友関係をもっていた政府高官のAから食事の誘いがあった。
 わたしは、こんどの事件の概要を話し、アドバイスをもとめた。Aの返答はこうだった。
「外国人同士の争いは、フィリピン当局にとって、迷惑この上ない。裁判は、じぶんの国でやってもらいたいものだ」
「しかし、監禁場所がフィリピンで、入管法違反問題は、フィリピン国の管轄ではないか」
「それはそうだが、裁判は、わが国の税金でおこなわれる」
それから、こう、ことばを継いだ。
「当事者の片方が、外国人旅行者でなく、わが国の永住権をもっていれば、フィリピンの捜査当局も、公判における取扱いも、もっと親身になるのではないか」
 われわれは、さっそく、一浚にAのアドバイスをつたえた。一浚は乗り気だった。
「日本に帰っても、一人では生活できない。いままで面倒をみてくれた賄い婦が、一生、世話をすると約束してくれている。フィリピンで、残りの人生を送りたい。永住権が取れるなら、そんなうれしいことはない」
 井上と義弟は、松下弁護士に相談して、一浚の永住権申請の手続を開始した。
 打つべき手は、すべて、打った。後は、フィリピン当局の判断を待つばかりである。

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その5)へ続く


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