2007年01月15日

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その3)

 D誘拐の被害者を救出して、なぜ、加害者呼ばわりされるのか? 
 昨年の十月二十三日、マニラの入管本部で、「出入国管理法」違反容疑で逮捕された賢一の再訊問がおこなわれた。
 このとき、NHKが、出頭した賢一の取材をおこなっている。
 ところが、殺人事件のからみがあって、放映はむずかしいという。
 のちに詳しくふれるが、新聞報道によると、真珠宮ビル乗っ取りと一浚の誘拐に関与した三人組のリーダー、野崎の殺害事件には、別件で逮捕されている暴力団がからんでいる。
 しかも、その別件逮捕の告訴人が、野崎とK、賢一の三人組という、複雑な構図なのである。
 殺人事件がからんでいる――というのは、一浚をフィリピンにつれだし、拉致していたのが、三人組の一人、賢一だったからである。
 われわれは、その賢一から、一浚を解放させた。
 ところが、一部の日本人社会で、事実が、曲げてつたえられた。
 われわれが、一浚を誘拐したというのである。どこかに、作為的に、ニセ情報を流している筋があるのであろうか。
 さまざまな情報が交錯するなかで、とくに、われわれを悩ましたのが、一浚救出にたいする国家権力の誤解と妨害だった。逮捕・起訴権をもつ日本の警視庁と、国家の出先機関である大使館が、われわれが一浚を誘拐した、という見解に立ち、さまざまな工作を仕掛けてくるのである。
 われわれが、一浚を救出した経緯は、すでにのべた。警視庁や大使館が、これを、誘拐という根拠は、いったい、何なのか。
「危ないですね。あなたたちの相手は、国家権力ではありませんか」
 一浚との一時間におよぶインタビューをおこない、海外の邦人誘拐事件として報道すべく準備をすすめていたTBS取材記者のことばが、ズシリと、胸に響いた。
 警視庁が、マスコミに作為的なリークをおこなうことは、よくある。われわれを、一浚の誘拐容疑で事情聴取をおこない、逮捕がありうるような情報を流せば、マスコミは、勝手に推測記事を垂れ流すだろう。
 われわれは、弁護士、評論家、会社経営者で、社会的信頼という土台がなければなりたたない職業についている。誤解であろうと、いったん、マスコミで、犯罪人として報道されてしまうと、たとえ、あとで取り消してもらっても、社会的生命を失いかねない。
 評論活動の一方で、今回のような、ジャーナリスト的なテーマにも積極的にとりくんできたわたしは、朝日新聞などの大メディアから誤報を流され、大きな社会的損失をこうむった経験をもっている。
 さて、われわれの懸念は、入管法違反による二十日程度の拘留のあと、日本に強制送還された賢一が、一浚の身柄引き渡しをもとめてきた場合、これに対抗する有効な手段がないことだった。
 一浚は否定しているが、日本の裁判所は、法制上、賢一が、一浚の養子であり、保護者とみとめている。松下弁護士が案じるとおり、親権争いになれば、一浚の実妹の夫である国安より、賢一のほうに分がある。
 一浚を誘拐・拉致した賢一が、一浚をひきとった国安よりつよい親権をもっているということは、賢一がわれわれをフィリピン当局に訴えた場合、誘拐の訴状が受理される可能性もあるということである。
 対抗手段は、一浚の意思表示である。一浚が、賢一の保護下におかれていること、賢一と養子関係にあることを法的に解消すれば、賢一と一浚の関係は、もとの、加害者と被害者の関係にもどる。
 井上は、そのためにも、一浚の精神鑑をおこなって<被保護者>の根拠となった心神耗弱の認定を解いておくべきと考え、フィリピンの一流病院に鑑定の手続きをとった。
 望ましい兆しもでてきた。一浚は、イミグレの供述調書で、養子縁組のことも、保護者確定のことも、知らなかったとのべたのにたいして、イミグレが、全面的に、一浚の言い分をみとめたのである。
 井上が、賢一を「誘拐監禁」で告訴するよう主張した。そこを突破口にすれば、打つ手は、ありそうだった。
 ちなみに、一浚は、わたしにたいして、こんなメモを書いている。 
 鴛渕一浚陳述書 
 私こと鴛渕一浚は、福田賢一(野崎グループの一人、もう一人はK)によってフィリピンに連れてこられ、その間、パスポートを取り上げられ、金銭の所持を禁じられ、しばしば暴力をふるわれ、監禁状態にありました。また、白内障のため、一人での歩行が困難な状態です。
 2006年の一〇月九日、山本峯章、井上雅彦、国安嘉隆らの尽力によって救出され、パスポートの申請手続き、福田賢一に対する告訴をおこなっていただきました。
 福田賢一は、私を精神病者に仕立て、平成十二年一〇月二六日、保護者選任の申し立てをおこない、東京家庭裁判所は、私の保護人として福田賢一を選任しました。
 福田賢一は、私にこうした事実を知らさず、Kらと共謀、私の財産、預貯金を収奪し、株式会社真珠宮の株式を勝手に譲渡しました。
 かれらは、加害者でありながら、被害者を装い、警視庁をつうじて、フィリピン日本大使館に、山本峯章、井上雅彦、国安嘉隆らが、私を誘拐、監禁していると申し立てています。
 監禁し、暴力をふるったのは、福田賢一です。福田賢一は、自分で勝手に私の養子になって鴛渕姓を名乗り、二枚のパスポートを使い分け、日本とフィリピンの間を頻繁に行き来しております。

 E日本大使館が、一浚にパスポートを発給 
 一浚の不法滞在は、賢一の誘拐監禁によって生じた。フィリピン警察も、逮捕権をもっているイミグレも、一浚の調書をもとに、誘拐監禁で賢一にたいする刑事告訴を受理するとみて、われわれは、フィリピン人の弁護士に手続きをまかせて、十月末、帰国した。
 三度目のフィリピン入国は、11月4日だった。大使館から、一浚のパスポートを発給してもらうためである。パスポートがなければ、こんどは、一浚が、パスポート不携帯で逮捕されかねない。
 十月二十五日。国安が日本大使館へ行き、一浚のパスポート発給をもとめている。ところが、大使館側は、本人に会って事情を聞きたいと、従来の態度を変えない。
 大使館は、パスポートをとりにきたら、一浚の身柄を保護するという。一浚の身柄が警視庁に移送されると、賢一らの拉致は善意の保護で、逆に、われわれの救出が、誘拐にあたるというシナリオがデッチあげられかねない。
 フィリピン人弁護士と松下弁護士の二人が、一浚のパスポートをうけとるべく、大使館と交渉を開始した。わたしと井上、一浚の三人は、取材を申し込んできたマニラ新聞の記者をともなって、大使館の隣のホテルに陣取った。
 大使館は、取材記者の同行を拒んだ。二人の弁護士だけで大使館におもむくと、担当領事は、われわれのホテルで話をしたいという。ホテルの一階に借りたビジネスセンターの会議室にはいってきた領事に、わたしは、たずねた。
「あなたたちが誘拐犯人の黒幕といっている山本ですが、何をもって、誘拐と判断したのでしょうか」
「わたしは、そんなことをいっていません」
「それでは、一浚のパスポート発給に、問題はありませんね」
 領事は、内ポケットからパスポートを取り出して、一浚に手渡した。その領事が、そのあと、われわれに「一浚さんと二人で話をしたい」と申しでた。
 領事と一浚の話は20分ほどで終わり、領事は、大使館にもどった。領事が一浚にたずねたのは「二人きりだから、本当の気持ちをいってほしい。何かいいたいことはないか」だけだったという。このことから、わたしは、日本大使館へ、どこかから、圧力がかかっていたらしいと、推測した。
 11月7日、フィリピン国家警察により賢一の誘拐監禁に関する告訴が受理され、賢一の長期拘留が決まった。これで、一応、イミグレ法違反による賢一の強制送還の可能性はなくなり、その後、賢一がカバトワン検事局でおこなった、われわれにたいする告訴は失敗に終ったという情報がはいり、わたしは、帰国した。

 Fインターポール(国際刑事警察機構)も動き出す 
 十一月十日頃、わたしの赤坂のオフィスに井上から電話がかかってきた。
 政府要人であるH氏からの情報で、日本側(インターポール東京)がフィリピンのインタポールをつうじて、情報収集をはじめたという。H氏の情報によると、要旨は、二点あるという。
 1、鴛淵一浚が2006年10月9日に、ある者に誘拐され、その後、解放された事実があるかどうか。
 2、2006年10月23日頃、鴛淵賢一がフィリピン入国管理局に逮捕された形跡があるかどうか。
 インターポール東京からインターポールマニラに、この調査依頼書がついたのは、十一月初旬である。
 この時期、警視庁捜査四課は、すでに、井上の仲介で一浚と直接電話で話し合い、一浚がじぶんの意志で賢一の監禁から逃れた事実をつかんでいる。本来、この時点で、警視庁は、賢一やKにたいして、一浚の誘拐・監禁容疑の捜査をすすめるべきではなかったのか。
 一浚は、大使館との話し合い、じぶんが自由の身であることをのべて、正式にパスポートを受取った。このとき、われわれが一浚を誘拐したという虚構も、崩れ去った。
 一浚の意思を確認しながら、警視庁が、フィリピンのインターポールに情報収集を依頼したのは、なぜか。
 一浚は、真珠宮ビルの所有会社の御曹司であり、株主でもある。誘拐監禁が、殺人事件と因果関係があったとしても、われわれが一浚を救出したのは、それと、何の関係もない。
 警視庁関係者は、青山通り事件発生後、賢一をマニラに呼び出し、二回ほど、事情聴取をおこなったという。捜査の専門家がマニラにまで出掛けながら、なぜ、行方不明になったまま、フィリピンで不法滞在者になっている一浚に事情聴取をおこなわなかったのであろう。
 一浚が解放されることによって、警視庁に何か不都合があったのであろうか。
 あるとすれば、一浚を監禁していた賢一が、青山殺人事件の容疑者となっている暴力団の告訴人だからではあるまいか。
 松下弁護士によると、一浚が救出されたと知った警視庁は、暴力団(後藤組)のY弁護士(主任弁護士)に電話をかけ、「あの二人(一浚、賢一)に何かおきたら、あなたにすべての責任をとってもらう」といったという。
 Y弁護士と、松下弁護士、国安、わたしとのあいだに、接点はない。
 一浚の誘拐監禁という大事件を看過する一方、一浚の解放にY弁護士が関与しているかのようにきめつける日本の捜査当局のやり方に、わたしは、疑問をいだかざるをえない。

 G賢一のガードに謎のフィクサー人登場 
 12月6日、フィリピン人の弁護士と一浚、井上の三人がカバトワンの地方検察局に出頭した。賢一にたいする起訴前の審判が予定されていたからである。
 ところが、当事者である賢一の姿はなく、あらわれたのは、弁護士資格をもたない後藤という代理人だった。
 われわれは、この男に、いちど会っている。
 一浚を救出した際、日本でいう公証人役場の機能をもつ法律事務所を探した。一浚の証言に法的根拠をもたせるため、日本の裁判所でも通用する書類を作成しなければならなかったからである。そのとき、井上と20年近い交友関係をもち、日本の旅行者や在留邦人の入管手続などのコンサルティングをおこなっている観光会社に相談にのってもらった。
 われわれは、そこの日本人経営者から、後藤を紹介されたのである。
 後藤は、マニラで、いくつかの法律事務所に関係して、フィリピン国内の日本人の相談にのっているほか、大使館関係からも、仕事の依頼を受けているという。
 われわれは、売り込みにきた後藤を日本料理屋に案内して、意見を聞いたことがある。
 後藤はそのとき、「この国では、権力者と人間関係をもっていれば、大方のことは解決する」と自信たっぷりにのべている。
 フィリピンでの活動が長いわたしも、フィリピンの特殊事情は、いやというほど、知っている。
 そのとき、後藤の介入を断ったのは、われわれ自身、後藤をよく知らず、われわれにも、政府筋に、人脈があったからである。
 賢一やKと、後藤の接点は、日本大使館と思われる。
 というのも、後藤が、カバトワンの検事局で入手した一浚の供述書のコピーを日本大使館にファックスしている事実を――われわれが雇ったフィリピン弁護士が、確認しているからである。
 後藤がいかにフィクサー的実力者でも、正当な理由なく、賢一を拘置所から釈放させることはできない。できるのは、不起訴の工作だけである。
 われわれの弁護士によると、入管局も国家捜査局も、一浚にたいする誘拐と三年間にわたる監禁を立件する自信をもっているという。
 だが、後藤にいわせると、フィリピンでは、コネとカネで、犯罪者を不起訴にすることができるのである。じじつ、ある筋によると、後藤は「面子にかけても不起訴にしてみせる」とうそぶいている。
 12月19日も、賢一は、カバトワン地検に出頭しなかった。検事側は、賢一に反論を、一浚には、賢一の反論にたいする再反論の機会をあたえるため、2007年1月9日〜10日まで、起訴を猶予するという。
 賢一が検事局に出頭してこないのは、裏で、不起訴工作がすすんでいることを知っているからであろうか。
 フィクサー後藤が、賢一を不起訴にできるのか、できたとすれば、どんな策略をもちいるのか、われわれには、当分、事態の推移をみまもるしか、ないのである。

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その4) へ続く

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2007年01月11日

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その2)

 B御曹司の救出に、ふたたびフィリピンへ 
 政府役人のH氏と地元警察に一浚と賢一の監視をたのみ、日本に帰ってから、約5か月が過ぎた10月初旬、井上から電話がかかってきた。H氏からの情報で、賢一が日本に帰るため、フライト予定7日付けのチケットを購入したという。
 賢一がそばにいると、一浚は、本心を打ち明けない。一浚と鴛淵家が屈託なく話し合えるチャンスを待っていた松下弁護士は、一浚の妹の夫、国安をつれて、すぐ、フィリピンへ飛ぼうという。
 松下によると、一浚と国安は、胸襟を開いて話し合ったことが、一度もない。野崎や片桐が、一浚の代理人として立ってきたからだ。その野崎グループから、妹や国安が財産を独り占めしようとしていると吹きこまれていた一浚は、親族を恨んでいる。
 われわれ三人が、フィリピン航空431便で成田を飛び立ったのは、賢一が日本にむかった十月七日である。
 その日、マニラの国際空港で待っていた政府要人のH氏と井上とともに、三人は、宿泊先のセンチュリー・パークホテルにむかった。
 このホテルは、かつて、若王子事件やグリンゴ・ホナサンによる数回におよぶクーデター事件、あるいはマルコス・イメルダ夫人の帰国問題など、取材のたびにもちいた常宿で、当時、このホテルにあったテレビ朝日の支局のスタジオから、わたしは、日本に何度か映像を送った。
 松下弁護士、国安、井上、H氏とともにホテルにはいり、一息ついてから、ミーティングを開いた。
 賢一は、その日のフィリピン航空で、日本に発っている。井上も、賄い婦に電話をかけて、賢一の不在をたしかめている。
 国安は、一浚のもとへ、すぐに出発したいという。だが、H氏が、反対した。一浚が住んでいるカバトワン地域は、住人が政府と共産党から二重徴税をされているフィリピン武装共産党の支配地域で、夜間、自動車でむかうのは危険だったからである。
 翌朝の七時、ワゴン車で現地に向かった。地元警察を同行させてはどうかというH氏の申し出を遠慮したのは、一浚にプレッシャーをかけたくなかったからだった。
 一浚の様子は、前回より、幾分、打ち解けているようにみえた。だが、国安が「兄さんの居場所がわかったので、妻と相談して、会いにきました。妻も心配しています」とつたえても、硬い表情のまま、小声で、ぼそぼそとつぶやいただけだった。
 野崎と片桐、賢一は、鴛淵家の会社や財産を乗っ取るため、妹と国安が財産を独り占めしようとしていると吹き込んで、一浚をとりこんだ。策略にかかった一浚は、賢一に言われるまま、賢一と養子縁組みをおこない、さらに、賢一が家裁へもちこんで取得した保護者権のもとにおかれた。
 かれらは、養子と保護者の立場を利用して、一浚をフィリピンの奥地まで連れ出したのである。
 一浚と義弟、弁護士の話し合いがはじまった。
 私と井上は、席を外した。庭に涼み台が置いてあった。その涼み台に横になると、一浚の世話をみている中年の賄い婦が枕をもってきてくれた。気立てがよさそうなひとだ。いつのまにか、眠ってしまったものらしく、耳元の声で目をさますと、国安と井上、松下弁護士がそばに立っていた。
「マニラにもどります」
 と松下がいう。わたしは国安にたずねた。
「一浚さんは?」
「一緒です」
 松下が補足した。
「一浚は、カネもパスポートも取り上げられていました。鴛淵家やビル会社などの情報をシャットアウトされたまま、いままで、自由も奪われていたといっています」
「監禁状態におかれていたのなら、なぜ、だれかに助けをもとめなかったのだろう」
「知らない土地で、頼れるひともなく、ほとんど、目が見えません。一人歩きができないうえに、カネをもっていないのですから、どうして、逃げだせたでしょう」
 国安が、安堵した面持ちで、いった。
「一浚は、賄いをしていた女性をマニラへつれていきたいといっています」
 カバトワンからマニラまで五時間、ひっそりとした車内で、一浚と賄いの女のヒソヒソ声だけが聞こえていた。やがて、その声も、消えた。二人とも、われわれ三人と同じように、日暮れとともに眠ってしまい、目覚めたのは、十時すこし前、マニラ市内にはいってからだった。
 その夜、行きつけの日本食堂で、六人で一緒に夕食をとった。一浚に食欲がなく、口数が少なかったのは、興奮と緊張のせいばかりではなかった。そのときは、だれも気づいていなかったが、一浚は、賢一から、しばしば、暴力をふるわれていた。
 一浚は、逃げだしたことによって、賢一から報復をうけるのではないかと、ひそかに、怯えていたのである。
 翌朝、一浚の食欲は、うってかわって、旺盛だった。ホテルの食堂で、つぎからつぎへ、賄いの女性に料理を運ばせ、むさぼりついた。食べっぷりから、それまで、いかに貧しい食事をしていたか、うかがえた。
 昼過ぎ、H氏の案内で、一浚とわれわれは、フィリピンの入管局に出頭した。
 担当者は、タテマエをおしとおす。「どんな理由があるにしろ、3年間の不法滞在を大目にみることはできない。一浚は不法滞在者、賢一は不法滞援助者として逮捕、強制送還の対象となる」
 H氏は、顔見知りらしい入管の職員に、温和にたずねた。「何かよいアイデアはないかね」
「不法滞在が、本人の意思ではなく、監禁状態から生じたのなら、賢一を告訴してはどうです」
「告訴は受理してくれるね」
「鴛淵一浚が、犯罪の被害者なら、それがいちばんよい救済策です」
 一浚は、その日一日かけて、入管の職員に、フィリピンに連れてこられた経緯や状況をこまごまと陳述した。フィリピン入管当局は、一浚が、誘拐監禁によって、不法滞在者となった事実をみとめ、一浚が、賢一を不法監禁で告訴するという前提で、賢一にたいする捜査の手続にはいった。
 入管法違反で逮捕されても、せいぜい、二十日前後、身柄を留置されたのち、日本へ強制送還されて、以後、フィリピンに入国することができなくなるだけである。だが、不法監禁で懲役刑を宣言されると、こんどは、当分、フィリピンからでられなくなる。

 C警視庁から思いもかけない警告と恫喝 
 一応の決着をみたので、あとを国安にまかせ、十一日、松下弁護士とわたしは、帰国した。
 その松下弁護士に、警視庁から、思いもよらない電話がかかった。
「あなた方は、何ということをしてくれたんだ。もし、一浚に何かあれば、責任を取ってもらう」
 松下は反論した。
「監禁状態にあった一浚の求めに応えて、救出をしただけです」
「いま、一浚は、どこにいる」
「井上さんや義弟が、アパートを探したり、病院に連れて行ったりしています。マニラで自立できる環境を整えているのです」
「井上とはだれだ」
「今回、お世話になったフィリピン在住の日本人です」
「その男の電話番号を教えろ」
「本人に断りなく、電話番号を教えるわけには行きません。必要なら、井上さんの方から電話をかけるようにたのんでみましょう」
 松下は、監禁されていた日本人を助けて、なぜ、警視庁に叱られるのか、狐にでもつままれたような気持ちで、井上に電話をかけ、警視庁捜査4課の係官と連絡をとるようにたのんだ。
 井上が、松下から教わった番号に電話すると、Aという捜査官が出た。
「井上ですが、どんなご用件ですか」
「あなたは、じぶんのやっていることがわかっているのか」
「監禁された日本人が助けてくれというので、救出の手伝いをしただけです。それが何か悪いことですか?」
「正しいことをしているつもりでも、それが、とんでもない大間違いということもある。この事件の裏に、大きな問題があるのを知っているのか」
「フィリピンに長く在住しているので、日本のことはよくわかりませんが、まちがったことはしていません。フィリピンの法では、被害者は、監禁状態におかれていたのですから」
「フィリピンの法律など関係ない。すぐ手を引くことだ」
「親族のひとから、協力をもとめられたのです」
「親族とはだれだ」
「義弟の国安さんです」
「国安、そんなものは親族ではない」
「困りましたね」
「松下弁護士と山本に相談することだ」
 井上は、捜査官の高飛車な物言いに、あっけにとられたという。二、三のやりとりのあと、捜査官が、たずねた。
「一浚はどこにいる」
「すぐそばにいますよ」
「一浚に代われ」
 電話を代わった一浚が、英語で話しはじめた。警視庁の係官が代わって、一浚に英語で話しかけているのである。一浚は、アメリカで大学を終え、長いあいだ、米国系の企業に勤めていた。その情報を入手していた警視庁は、電話の主が一浚かどうか、英語でたしかめたのである。
 一浚は、長期間、賢一に監禁されていた事実を告げ、今回、じぶんの意志で、救助をもとめたことを、英語でのべた。井上が、一浚に代わって受話器をとると、警視庁の係官は、無言で電話を切った。
 警視庁が、一浚の救助にクレームをつける一方、フィリピン警察は、一浚の誘拐・監禁事件に、迅速に動いた。一浚と賢一が住んでいたネバイシア・カバトワン市は、国家警察ルソン本部の管轄である。 
 十月十八日、国家警察と入管本部は、出入国管理法違反で逮捕状をとって、賢一を逮捕した。
 出入国管理局の「外人専用留置場」に留置された賢一の釈放に、意外なことに、日本大使館が、うごいた。その結果、入管が、「日本大使館が責任をもつ」という約束で、賢一を四日間にかぎって釈放した。賢一がむかったのは、カバトワンだった。
 賢一は、われわれ四人を「誘拐罪」でカバトワン地検に告訴したのである。
 この告訴がみとめられると、救出ではなく、一浚を誘拐したことになって、逆に、われわれが、カバトワン地検から逮捕状を執行されることになる。
 このアイデアは、賢一のものではない。シナリオを書いたのは、大使館か、警視庁ではあるまいか。
 それにしても、一浚本人から救出をたのまれたわれわれが誘拐犯なら、誘拐された被害者は、いったい、どこにいるのか。賢一と大使館、警視庁がグルになっても、われわれを誘拐犯にするのは無理な話だが、フィリピンでは、常識をこえたことが、しばしば、おきる。
 入管の捜査員は「賢一が一浚の養子になっている以上、身内として、は義弟の国安さんより法的な根拠がつよいのではないか」という。
 しかも、賢一は、一浚の保護者になっている。一浚は「賢一がわたしの保護者とだれがきめたのか、わたしは、了解していない」と主張したが、日本では、手続き上、賢一が一浚の保護者になっている。
 入管の捜査員によると、カバトワン地検が、親権を根拠に、賢一がわれわれを誘拐犯とうったえた告訴状を受理する可能性があるという。
 大使館が責任をもって、賢一の身柄を入管に引き渡すのが、4日後だった。
 そのかん、カバトワン地検から呼び出しがかかったら、万事休すである。
 マニラで待機していたわれわれに、その四日は、じつに長い四日間であった。

「青山通り刺殺事件」と「真珠宮ビル乗っ取り事件」の深層(その3)へ続く



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